2012年10月7日日曜日

Road Trip in the US 2012





NYからSFまで7000キロの旅のTrailer。爆笑


アメリカ大陸横断日記
プロローグ
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/08/blog-post.html

Day1 (NewYork - Cleveland)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/08/1.html

Day2 (Cleveland)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/08/2_31.html

Day3 (Cleveland - SerpentMound - Aberdeen)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/3-cleveland-serpent-mound-aberdeen.html

Day4 (Aberdeen - Maysville - Lexington - Nashville)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/aberdeen-maysville-lexington-nashville.html

Day5 (Nashville - Memphis)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/5nashvillememphis.html

Day6 (Memphis - HotSprings)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/0-0-1-23-134-1-1-156-14.html

Day7 (HotSprings - Dallas - FortWorth)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/0-0-1-158-907-7-2-1063-14.html

Day8 (FortWorth - Austin)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/fort-worth-austin.html

Day9 (Austin)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/9.html

Day10 (Austin - Carlsbad)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/10austin-carlsbad.html

Day11 (Carlsbad - El Paso - Las Cruces)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/11-carlsbadlas-cruces.html

Day12 (Las Cruces - White Sands - Santa Fe)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/12las-cruces-white-sands-santa-fe.html

Day13(Santa Fe)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/13santa-fe.html

Day14(Santa Fe - Sedona)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/14santa-fe-sedona.html

Day15(Sedona - Grand Canyon)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/15sedona-grand-canyon.html

Day16(Grand Canyon - Hoover Dam - Las Vegas)
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Day17(Las Vegas - Los Angeles)
http://tacchiontheroad.blogspot.com/2012/09/17las-vegas-la.html

Day18(Los Angeles)
http://tacchiontheroad.blogspot.jp/2012/09/18los-angeles.html
Day19(Los Angeles - Santa Cruz)
http://tacchiontheroad.blogspot.ca/2012/09/19los-angeles-santa-cruz.html

Day20(Santa Cruz)
http://tacchiontheroad.blogspot.jp/2012/09/20santa-cruz.html

Day21(Santa Cruz - San Francisco)
http://tacchiontheroad.blogspot.jp/2012/09/santa-cruz-san-francisco.html

Day22(San Francisco)
http://tacchiontheroad.blogspot.jp/2013/02/22san-francisco.html

Day23(San Francisco - Tokyo)
http://tacchiontheroad.blogspot.jp/2012/10/23san-fanciscotokyo.html

エピローグ
 しゅん編
 http://tacchiontheroad.blogspot.jp/2012/10/blog-post_10.html

 
 ひろき編
 http://tacchiontheroad.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html

  たっち編
   http://tacchiontheroad.blogspot.ca/2012/10/blog-post_13.html

 のりちゃん編
   http://tacchiontheroad.blogspot.jp/2012/10/blog-post_6.html

2012年10月6日土曜日

エピローグ —しゅん編—


ひろきがエピローグを書いてくれたので、僕もアメリカ横断の旅の感想を書きたいと思う。

旅ってやっぱ良いものだなと、帰ってきた今改めて思う。
実際のところ、旅をしている最中は楽しいことばかりではないし、何かに対して常に感動してるというわけでもなかったと思う。
四人で旅をしているわけだからきっとみんな互いに不満の一つや二つはあっただろうし、みんながそれぞれの思い描いているような旅を100%できたとは思わない。
でも自分の好きなことを全部できようができまいが、満足しようがしまいが、そういうことは全部今となってはちっちゃい悩みだったなと思う。




旅をしている、今思えばそれだけで良かった。その非日常性が今となってはかけがえのないものだったと実感する。
毎朝目が覚めると、ひろきとのりとたっちがいて、四人で朝飯を食べたり食べなかったり。煙草を吸いにいく奴がいれば、トイレにこもったり、Skypeで彼女と話したり、ギターを弾いたりしてる奴がいる。ひとしきりパッキングを済ませ、車のトランクに荷物を詰め込んでその日はじめのドライバーを決めたら、音楽を大音量でかけて再び果てしない道の上を西へ西へと進んでいく。毎朝違う場所で「今日は何に出会うことができるのだろう」という期待と共に目覚め、毎晩違う場所で「明日は何が僕らをまっているのだろう」という興奮と共に眠りにつく。毎日がトラブルの予感と感動への期待に彩られ、その興奮は収まるどころか日に日に増していき、気付けば僕らの体の一部になっていた。
この旅がこんなにもエキサイティングで、今となっては終わってしまったことを嘆くほどのものになったのは、「海外に行ったから」でも「アメリカだったから」でもなく、これがアメリカ大陸横断のロードトリップだったから。バスに乗ったわけでもなく、電車に乗ったわけでもなく、飛行機に乗ったわけでもない。僕らは確かにハンドルを握り、自分たちの手でアメリカ大陸4522マイルの道のりを走り切り、大陸を横断したのだ。ロスに到着し、西海岸の海の中に四人で手を繋ぎながら両足を入れたときの感動を僕は今でもはっきりと覚えている。いつまで経っても色あせない感動というのは存在するのだ。

日本に帰ってから早3週間。僕の生活はすっかり日常の中へと戻り、今は毎朝同じベッドで目覚め、毎晩同じベッドで眠りにつく日々を送っている。アメリカ横断の時にあったあの「はっきりと前に進んでいっている」という感覚が今は懐かしい。いや、決して暢気に懐かしんだりはしていない。僕はあの感覚を日本の中で必死に探している。
でもそれは見つかりっこない。だって僕は今、日常の中にいるのだから。
カリフォルニアで感じたあの解放感をできるだけ日本に持ち帰って生活をしたいと思っていた。レコードをかけてコーヒーを淹れて、時間が流れるのをゆっくり待つようなそんな感覚を持っていたいと。
でもそれはすごく難しいことだ。だって僕は今、東京の街にいるのだから。

ただ、決して悲観的になっているわけではない。アメリカで感じたあの興奮や感動は僕が撮った写真の中に、書いた文章の中に生きているし、アメリカに対するこの思い入れはまた僕をきっとあの広大で肥沃な母なる大陸に連れ戻していくだろうから。そうしたらまたそこから新しい旅をはじめていけばいいだけの話だ。そうやってまた日常と非日常との境界線を越えていきたい。

2012年のアメリカ横断の旅は無事に終わった。次は一体どんな人とどんな場所に行けるのか、何が僕を待っているのか、そして自分はどこに向かっているのか、考えただけで今から楽しみで仕方がない。最後にジョージア・オキーフのこの言葉を紹介してこのブログを終えたいと思う。


Where I was born and where and how I have lived is unimportant. 
It is what I have done with where I have been that should be of interest.


Georgia O'Keeffe





アメリカ横断の旅の実現を可能にしてくれた全ての人(特にひろき、たっち、のり)、そして全てのものにありったけの感謝を込めて。

エピローグ -たっち編-

最終地サンフランシスコから今いるカナダのバンクーバーまで、飛行機でたったの3時間で着いた。

アメリカロードトリップのように、車でバンクーバーまで行っていたのなら、きっと5日間ぐらいかけていた。そしてきっと、バンクーバーの街の見え方も、全く異なっていたと思う。

バンクーバーに着いたとき、もちろんのこと達成感は全くなかった。自分で言うのも恐縮だが、旅慣れてしまっている私にとって、全く見たことも聞いたこともない場所である上に地図さえ持っていなくとも、目的地には行くことはもうさほど難しいことでもない。駅しかり、バス停しかり、ホテルしかり、観光地しかり、目的地さえはっきりしていれば"大体"行ける(もちろん例外はあるけどね)。この世界にはバス、電車、タクシーというスーパー便利なトランスポーテーションがあるんだもの。どのバス、どの電車に乗りさえ分かればそこまで連れて行ってくれる。タクシーに至っては場所さえ告げれば連れて行ってくれる。




オーマイブラザー、これってスーパー便利!!!!!!!!!!!





でも今回のアメリカ横断は、違った。

 
ご存知の通りレンタカーを借り、NYからSFまで行こう!と。
ナビ?そんなものは邪道だ!手持ちの地図だけで十分じゃ!と。
え、地図?あの大雑把な一枚で十分だ馬鹿やろー、なめんな!と。
細かい道?まあ大体こっちの方に行けば着くだろ!と。
てかそのうち看板とか出てきて分かるだろ、余裕でしょ!と。





NYを出て数時間後、僕らはサービスエリアでより細かい地図を購入。
一同「ふむふむ、なるほどねー。」
 






さらに数時間後、iPadを使い、現在地確認。目的地までの道を把握する。
一同「あ、じゃあこう行けばいいんだね」






そして目的地到着。
一同「いやあ、やっぱナビないときついね!(爆笑)」





旅初日、当初の考えが全て打ち砕かれる。少しだけ不安になった。


まあでも、ナビがないお陰でめちゃくちゃ楽しかった。むしろ今となってはそれが誇り。
ナビを車に付けて横断とか簡単すぎるし、全然面白くないと思う。道を教えてくれるのだもの、だって。


助手席「ここを曲がってhighway100に乗って、しばらく行くとhighway110が見えてくるからそれをNorthに向けてよろしく」

運転手「あいよーん」(←俺の場合。)

数分後。

運転手「え、あれ110?あれ出口左(通常右)じゃない?やばいやばい、こっから左車線入れないよ!・・・・あー、通り過ぎちゃった。」

とか言って、みんな頻繁に道を誤る笑。
(他にも、助手席の人が道を間違えるパターンもあれば、運転手助手席と二人揃って間違えるパターンもあり。)

でもみんなの反応は、

 「まあいっか。」

 その辺もすごい良かったよね笑(自画自賛)。すぐに新しい道を考え、道が見つかればそのまま、ちょっと手こずると思った場合は我らのヒーロー・マクドナルドの出番。海外のマクドナルドはほとんどFree Wi-fiが通ってるからね、もう、便利だぞ!こら!みたいなことも、ナビが付いていたら考えられなかったもの。

 
そんなことを考えていると、アメリカ横断、終わっちゃったんだなーと、しみじみと感じる。


俺はまだカナダにいるので、日常の中に非日常を体験できることもある上に、この後シアトルを通ってロスにはもう 一度行くため、まだアメリカを客観視できていない。日本と比べることはまだできない。けどカナダにいるだけでも、あのアメリカの開放感のある雰囲気は居心地が良かったとつくづく思う。


本当に、アメリカに魅了され続けた23日間でした。


これを過去の物として思い偲ぶのではなく、いつまでも人生の糧となるように、これからを生きていきたいものです。


アメリカ、あっぱれ。


たっち

エピローグ ―のり編―



エピローグ、書くのが本当に遅くなってすまない。
もう何ヶ月たってるんだ、てね。

僕は、三人、峻、たっち、ひろきに感謝していることをまずのべたい。
本当に三人で旅ができたことを嬉しく思っている。
また、渡米にお金を貸してくれた、母、
そして、その間ずっと待ち続けていてくれた祥子。
みなさん本当にありがとうございました。



さてさて、この旅は、アメリカ大陸横断が目的の旅で、
その目標があってこその旅だったわけですが、率直に言うと、
僕は三人と過ごした、のほほんとした一か月、
アメリカ大陸という大きな大地に出会えてことが、嬉しくて、
それだけなのです。これは、これからよき思い出としてこれからの糧になると思う。

なにを臭いことを書いているのだと思うかもしれないけど、本当にそれほどの体験だったのだと、今にしてようやくわかってきた気がします。



まずは三人にお礼を。



ひろき

この旅の前に、渋谷で一回会ったんだよね、ツタヤの上のカフェでプランを一緒にたてた。俺はいきなり、その前?会う約束をすっぽかして面食らわしてしまったと思う、ごめんな。その上、みんながfacebookでプランを立てているときもあまり参加もせず、なんだこいつは!と思ったに違いない。今もそう思われているのかもしれないけど。苦笑

たびが始まって、よくしゃべるやつだなと思ったのが最初の印象。
ひろきからしたら、俺はよくしゃべらないやつだと思っただろう。笑
いまだから言えるけど、俺は、旅にどこそこ行くと決めるのがきらいなたちで、
適当に行ってみて、結局つまんなくて、色んなものを見過ごすしてっていうのがわりと好きだったんだ。おかしいよね。だから、あまりにもバリバリ計画を立てる旅に少し反発もあって、それが、三人とすこし隔たりができたときがあった。ちょうど、クリーブランドのあたりか。

このときの三人の表情が恐くてさ。俺は大学入って四年間、数にしたら、5万枚くらい写真をとってきたけど日に直すと、50000/365×4、平均すると、日に約32枚くらい撮ってきたことになるわけだけども、写真て本当に愚直だとおもう。そのときの、ある一瞬なんだけど、三人の顔がものすごい顔をしている。
文句を言いたいわけじゃないんだよ。そういうこともあったなと思って。
でも、この旅を通して、わりとプランをたてるのも悪くないなと。無事こうしているのも、あのプランのおかげなわけだし。ひろきもこの春から、働くんだよね。よくしゃべるひろき、その口でたくさんの人を惹き付けて、たくさんの人を繋げてくれ。きろきの記事が出るのを影ながら見ていたいと思います。なんか言いたいことたくさんあった気がするんだが、大分わからなくなった。ひろきのこと一部分しか見てなかったと思うけど、
いいやつなんだろうな、というのは覚えてる。ありがとう。






たっち

は、いまだにクエスチョンな男だ。笑
でも熱い男でした。
そうなんだよね、よくわかんないけど、僕はたっちに教師でどういうことがしたいのか、
ちゃんと聞けばよかった。でもきっと、信念があるのでしょう。一年間近く旅をして、
何かを子ども達に伝えたいと思ったんだろう。いっぱい、子ども達に色んなことを伝えてあげてください。
たっちだからこそできることだと思います。本当によろしく頼むよ。日本の若者はとか・・・言われないように、たっちの活躍を祈っています。よろしく頼みます。
一緒に旅をしてくれてありがとう。








しゅん

しゅん、お前には今更なにを言おうかわかりません。
でもこの場を借りていくつか整理して言っておきたいこともある。
いきなり失礼かもしれないが、峻の言葉の3割は、嘘というか、嘘ではないな、好奇心、
感情のこもっていない?純粋な好奇心と、インテリな言葉。
あとの残りの7割は本当のことば。旅の最中もそう思っていました。
だけど本当はそうではなくて、その好奇心が今のその本当のコトバを発する峻をつくっているのだと、最近ようやく理解しました。俺は峻にたくさんいい経験をさせてもらった。感謝しています。お前がいなければ、今の俺はないのだと思う。ちょっと言い過ぎか、でもそう思う。

お互いこれから社会人になりますが、どんなことを成し遂げるか、
しゅんのやることに何か、負のものを感じたことはそれほどないけれど、
でももし、落ち着いてしまったら、ぶっとばしてやりたいと思う。アナーキーではないが、何か常にやり続けていて欲しいとおもう。それは峻に対して望むことだけど、そのことによってたくさんの人が救われていると思います。そのカリスマ性で何かやってくれ。
反対に俺が情けなかったりしたときは、そのときは、甘えだが、ぶっとばしてほしい、甘えだが。

この旅に誘ってくれてありがとう。峻の高校時代を過ごしたクリーブランドという素敵な地、峻のバックグラウンドとなるアメリカ大陸を体験できてよかった。
お互い頑張りましょう。






リサさん(峻の高校時代のホストファミリーのママ)

この言葉を訳して伝えなければならないのだけど、僕は英語が苦手なので、
そのうち頑張って手紙を、三人と一緒に出したいと思います。
素敵な家に泊めてくれて、おいしい朝ご飯、バーベキューありがとうございました。
素敵な浜辺と、サンセット、そして、旅の安全を祈る言葉、ありがとうございました。
峻と、ぼくたち三人はたった2日ですが、育ててくれてありがとうございました。




サエコ、ステファニー、ネイサン(カリファルニアでお世話になった友達)

サエコ、すごいとこに住んでるな。今はどうしてるのかな。
アメリカで友達をつくり、彼氏までいて、勉学にも励み、お前はいろんな意味で本当にクレイジーだよ。
サエコの友達、ステファニー、ネイサンもとってもいい人達でした。
本当にありがとう。写真も送らなきゃね。







アメリカ

ここでの体験は、四人がブログに綴った通りです。
ありがとう。






ブログをちらっとでも見てくれた方々

これから、四人、全く違った業界で働いていく人間です。
それぞれ、職種は違いますが、この体験を基に、社会に対してなにができるのか、温かく見守っていてくださればと思います。何をこのブログで伝えられたのかわかりませんが、たまに、旅にでてみることだけはおすすめできます。
ご清聴ありがとうございました。



横断の海


2013.2.5
則本祐輝
みなさまのこれからの素敵な旅を祈って。



エピローグ ―ひろき編―

―ひろき編―
 
遅くなってしまいましたが、エピローグ。
アメリカ大陸横断が終わって、早いもので3週間。
旅の記憶が完全に過去のものになってしまう前に、書いておこうと思います。
 
 
僕にとって、この夏休みは、間違いなく、これまでの人生で一番濃かった、楽しかった。
東京の下宿先に飾ってある、このアメリカ大陸横断マップを見るたびに、アメリカでの非日常的だった日々を思い出す。

 

アメリカでは、ホントに感動しっぱなしの日々だった。
毎日が、昨日と全く 違う1日で、明日もやっぱり全然違う1日が待っていて…
「アメリカ合衆国」と言ってしまえば、1つの国だけど、その1国の中に、ニューヨークやサンフランシスコといった大都市もあれば、中南部には綿花畑に囲まれたゴーストタウンみたいな町もあって、かと思えばグランドキャニオンみたいな意味わかんないくらいの大自然もあって、ラスベガスなんて、あんな都市は世界のどこに行ってもないだろうし。
こう言うと陳腐だけども、身をもって、多様性を感じ続けた日々でした。
簡単に言うと、たっちも言ってたけど、「アメリカすげーすげー」。もうホントこれに尽きます。笑

今回の旅は実を言うと、不安ばっかりでした。
まずは、言わずもがな、ペーパードライバーだってこと。笑
もうこれはどうしようもない。笑
運転して慣れるしかないわけで…
正直に言うと、事故の1つや2つは覚悟してた。笑
それが今回、無事故・無違反・無逮捕で無事に旅を終われたのは、僕が運転席にいる時に、助手席に座って寝ずに優しく指導してくれたたっち・のりちゃん・しゅんくんのおかげです。ありがとう。しゅんくんは1回寝てたけど。笑

もう1つの不安は、メンバーでした。
今となっては、あの4人でアメリカ大陸横断できて、ホントに良かった、って思える。
けど、最初はドキドキもの。
しゅんくんはイギリス留学時代からの友だちで1年くらいの付き合いはあるけど、たっちとのりちゃんは初対面。
赤の他人といきなり3週間も一緒の車に乗って、旅するっていうんだから、もう不安でした。車って逃げるとこないしね。笑
ちなみに、僕は人の好き嫌いが激しい質で…笑
合わなかったらどうしよう、とかずっと思ってました。
ま、でも、そんな不安も杞憂に終わったわけで。
一緒にアメリカ大陸横断できて、良かったよ、ありがとう。
11月に絶対、鍋しような!笑

そんなこんなでエピローグ。
アメリカを学生のうちに、たっぷり時間をかけて、お金は多少なかったけども笑、車で横断できた、ってのがホントに良かった。
絶対アメリカはいつか戻ってやる。

来年からは仕事が始まって、きっと海外旅行なんて気楽に行ってる時間もないんだろうな…(´・_・`)
年金もらえる歳になったら、すぐ辞めて、世界中まわりたいな、綺麗な嫁さん連れて。笑
それまでは、この大好きな日本で精一杯生きようと思います。笑
なんかエピローグの結論がおかしい気もするけど、これ以上書くと、さらにおかしくなる気がするので、このへんで!笑


ありがとう、アメリカ!

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2012年10月4日木曜日

アメリカ大陸横断23日目(San Fancisco~Tokyo)

更新者:たっち

いよいよアメリカ最終日。いつものように荷物をまとめ、ホステルを後にした。

唯一違うのは、このロードトリップを支えてくれた、モックンがいないこと。
一緒に8000kmを突っ走ってくれたモックン。悲しいな。こんなに車に愛着を持ったのは初めてだ。

思い返せば、9/26日にニューヨークからこの旅は始まった。
俺は2月に日本を発っていたから、約7ヶ月振りに友人との再会を喜ぶ俺としゅんとのりちゃん。
それと引き換え、俺とひろきは初対面。まあよくもそれでアメリカ横断を一緒にしようなんて決意したもんだ。

でも俺とひろきはすぐに打ち解けて、次の日に二人でブルックリン橋へ行った。今考えれば、雰囲気は少しだけぎこちなかった笑。多分。

出発の日の前夜、ヴィレッジヴァンガードでジャズを聴いた。あんなに演奏が上品で迫力のある音楽を、目にしたことが無かった。おまけに演奏もずば抜けて上手い。俺はもうこの時点で、すでにどっぷりアメリカにはまっていた。すごい安易な言葉だけれど、「アメリカすげーすげー!」ってずっと思ってた。

俺らはその後、もう夜中の12時に間もならないころ、僕とひろきのお気に入りスポットと化したブルックリン橋へ、今度は4人で向かった。

そこでNYの夜景を見ながら、男4人でばっちし約束。


「ニューヨークからサンフランシスコまで、この4人で最後まで行こう」


そこから、時はあっという間に流れた。8000km、よく走ったよ本当に。
単純計算で1人2000km走ったことになるよね。でもこの4人の中に1人ペーパードライバーがいるから、そんな単純計算では一人どれだけ走ったかは割り出せないんだよね。え。

ぶっちゃけ、NYにいたときに時間を戻せるなら、戻したい。でもあのワクワク感は、もう味わえないかな。
まあ違うルートで、もう1回アメリカを横断してみてもいいなと思う。
楽しみにしていたニューオリーンズには、洪水の影響で行けなかったし。首都ワシントンDCにも行ってないしね。


アメリカがまさかこんな魅力的な場所だとは思ってもみなかったです。人も自然も本当に素敵だった。
俺にとっては、日本の次に住みたい国です。日本→アメリカ→スペインって感じかな。


サンフランシスコ空港で、僕だけお別れ。英語教育の資格を得るため、一人バンクーバーへと向かいました(その後ハプニング続出ですので、気になる人は日本帰ってから色々話しましょう)。
残りの3人は、今日本でそれぞれ自分の道をまた歩み始めています。
23日間、一緒に過ごしたけれど、今となってはもう全員やってることがバラバラ。不思議なものです。


同じ一つの目標を持って仲間と突き進む、本当にこれ以上のない最高のひとときでした。


一緒にアメリカ横断をした3人にはもちろん感謝の気持ちはあるんだけど、これからもまたどんどん面白いことしていこうねって気持ちのが強いです。次は日本縦断?悪くない。ま、適当に、時間とお金があればできたらいいね。


このブログを見てくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。
コメント数はあまり伸びませんでしたが、blog view数はものすごい数を行っていました笑。感謝です。
そして「このブログを見るために毎日を生きている」というメッセージをくれた大親友・春田周平君。今度は君も一緒に旅をしよう。もっと楽しくなりそうだよ。


こーやって、これからも人生をかけて色々な人と一緒に、日本含め世界中を旅できたらいいな、と俺は思っています。


ではこの辺で。


アメリカありがとーまた会う日まで!


p.sp映像編集は訳あって、おそらく今年一杯はかかると思います。お楽しみに(してくれていると嬉しいです)。

2012年10月3日水曜日

アメリカ大陸横断22日目(San Francisco)


みなさま。こんにちは。お久しぶりです。帰国してしばらく余韻に浸っていると気付いたらこっちの生活が始まっていて、なんやかんやしていると、更新するのがすっかり億劫になってしまっていました。何事もその日のうちにやってしまうのが良いですね。モーテルでブログ更新していたのが懐かしい。クレジットの請求が届いて目ん玉飛び出しまくりののりがアメリカ大陸横断22日目、帰国前日の様子をお届けします。ラスベガスなぞのウン万円って請求きてるんだが、これなんだ・・・みなさん覚えてますか?いい思いをしたようなしなかったような・・・。笑


ここまで、三週間一緒に旅を続けてきた、もっくん(レンタカー)と朝別れ、一行はサンスフランシスコ市内観光へ。


え?もっくんの扱いそんなもん?って方、だいぶブログを読んでくれた方ですね!そうなんです。僕らニューヨークをスタートしてから8000km、三週間ずーっともっくんに文字通りおんぶにだっこだったわけですから・・・こうしてもっくんが居ないのは、寂しいというか、何かがもの足りない。
高速走っていると、少し前の車の左前輪が急に外れて、火花散らしながら緊急停止してるのとか、トラックの劣化したタイヤの破片が飛んできたりとか、アスファルトの質が良く無いためかそういう事故寸前の光景を見ることが多々ありました。今思うと、僕らの手荒な運転でも彼が無事にサンフランシスコまで送り届けてくれたんですよね。本当に感謝です。












写真の通り、この日はほんとうに最後に、アメリカを観光しました。記念撮影をして終えました。この旅への思いはエピローグに書きたいと思います。もし、この日の記録はもし三人から叱責をくらえば、ちゃんと書き直すので今は許してください。時間がたった今、当時の思いを最終日として綴ることに抵抗があります。